ぶろぐ 灯香のいいわけいっぱい

Thursday. 14 June 2018

悲しむ必要がないと気づかなくて悲しんでいませんか?

3年前に母が大腿骨骨折で入院。

そのあと続く入退院。

車椅子に透析の兄は母と暮らせなくなり施設に。

 

平気な顔をしている私に、

ケアプランナーさんが聞きました。

どうしてそんな明るいのか?

どうして泣いたり、落ち込んだりしないのか?

その理由を教えてほしいと。

 

状況と反応です。

状況に「悲しい」とか「大変だ」という反応をしないだけ。

 

一人暮らしの母が入院しても、入院先では万全の体制。

母になんの不自由もなく、私の生活は変わらない。

 

入院代は、高齢者なのでほとんどなく、しかも保険が入って金銭的にはプラス。

家に残された猫さんだけが心配でしたが、

お隣さんが、餌を上げてくれるというので、

やっぱり私の生活は変わらない。

 

兄も別に、栄養管理されたご飯が食べられて、洗濯がしてもらえ、

自宅だとシャワーだけだけど、そこではお風呂も入れる。

母にぐちぐち言われるよりも、よっぽどいい環境だと。

時々会いに行くと、幸せそうだし顔色もいいし、健康的に痩せた。

施設代は母が払う。

そして、私の生活は、やっぱり変わらない。

 

ケアプランナーさんに問いたい。

私が落ち込まなければならない理由はどこにあるのかと。

 

状況があなたに(物理的に)噛み付いてくるならば、逃げましょう

状況があなたの生活に望まない変化をもたらすならば、工夫しましょう。

でも、状況がそこに存在せずに、

ただ「そうなるんじゃないか?」っていう予測や不安だけだったら、

そして、「こういう状況は、悲しい、大変、って思うものなんだ・・・」

という、意味のない反応を強いられて、思い込んでいるならば、

それは『杞憂』といいます。

 

『きゆう』と読みます。

小学校3年生のときに、亡き父が教えてくれた言葉と考え方です。

人生の大切な教えの1つです。

 

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